孤独な社会人の独り言

自分の考えの備忘録としてのブログ

尖り

尖りは必要かどうか。そんなことを考えていた。

成功している人は若いころは尖っていたという人が多い印象がある。

尖り=成功者のパターンというつもりはないが、自分の考えとして、少なくとも若いうちは尖りは必要だと思っている。

この先どうなるかわからないけれど、せめて30までは尖っていたい。他人にはわからなくてもいいから、自分の内にあるものをずっと燃やしていきたい。

人生はすべて勝ち負けだと思っている。人に優しく接して時には自ら引いて負けを選ぶようなこともあるけれど、そんなことも含めてすべて勝ち負け。

やるかやられるかしかないんだ。力、体力、根性、頭脳、知識、容姿、人間性、収入、ユーモア、話術、そういう個性や魅力という名のステータスを武器にみんな勝ち負けの世界で生きている。俺は気を許している友人に対しても嫉妬や劣等感、優越感を常にどこかに感じている。

一見横並びの関係であっても全部勝ち負けなんだ。それは同性に対しても異性に対しても。勝たなければ意味がない。自分が今まで培ってきたものがすべて否定された気になる。この先就職しても同期や先輩、後輩に対してもずっとこのスタンスでいこうと思っている。これは闘争心や負けず嫌いなんてかっこいいものじゃなく、単に劣等感の裏返し、自己肯定のための自分本位な感情なんだと思う。だけど、それでも、だからこそ尖っていないと自分がダメにになってしまいそうだからこの先もこの気持ちをもって生きていたいと思う。

酔っぱらってるからあんまりまとまらなかったけど、とにかくこの先もいけるところまでずっと尖っていたい。自分自身に俺は他とは違うんだと思わせたい。自分を等身大に受け止めて、まぁこのままでいいのかなと正当化した時点で終わってしまう気がするから。尖ってあがいて無様に格好悪く生きていきたい。そんなことを思っちゃったっていうお話でした。