孤独な社会人の独り言

自分の考えの備忘録としてのブログ

無題

なんとなく考えてたことを書いてみよう。

今の自分の軸というか、今の自分の中のテーマみたいなことを。なんとなくしばらくはこれを基に日々考え過ごしていくことになりそうな気がする。

簡単に言うと①馬鹿であること ②毒であること ③誠実であること

まず①の馬鹿であること。4月から社会人になって、社会というものの一部に自分がなるわけだけど、勤勉でお利巧でやっていくのはもちろんとして、どこか馬鹿でいたいという思いがある。馬鹿という言葉は悪い言葉に聞こえるし、実際そうなのかもしれないけど、自分では馬鹿というのはマイナスなことではないと思っている。むしろ馬鹿でいられることの凄さというものがあると思っている。一般的に人は年を重ねるにつれ、聞き分けがよくなり、馬鹿から脱却して大人をやっていく。だけど、人は何で笑い、そこに悦楽を感じるのだろうかと考えたときに、ざっくりと言えば笑いというものは=馬鹿さだろうと考えた。馬鹿さというものは人を笑わせ、人にほんのわずかながら幸せを与えることができる。もちろん、笑い、馬鹿さにも種類があるけどここでは一つのものとして言う。特にこれから就職をして、仕事で社会を作っている層(10代後半~70代くらい)の人間とやっていくわけだから、馬鹿というものは絶対に必要なものだと思っている。馬鹿であり続けられることの才能、努力というものは常にやっていきたい。そこに誠実さや真面目さというものが必要になってくる。

②の毒であること、これは単純に自分自身の利己的な考えとして、常に危険でハラハラするようなものを持っていたいという考え。まあ単に自分自身お笑いだったり成功者の若い頃の尖っている部分が好きだったりすることもあるのだけど。毒というのは使い方によっては人を傷つけてしまうのは重々承知だけど、使い方によっては必要な毒もあると思っている。俺はまだ22歳で若い。周りの大学生は年とったわ~とかもう高校生みたいに若くないわとか言うけど、俺は22歳なんてまだまだ糞ガキで何も知らない若造だと思っている。だからその感覚があるうちはとにかく自分の中では尖りとか、危険さみたいな毒を持っていたいと思っている。それは時として人を傷つけ不快にしてしまうかもしれないけど、使い方に気を付けて、人にとって心地いい毒であれるように、悪口とか毒舌とか、狂気な部分を大切にしていきたい。

③の誠実であること。これは①と②やその他すべてのことに関して繋がることだけど、何かをする、考える上ではまず土台として誠実でなければいけない。誠実さとは正しさと言ってもいいと自分の中では考えている。正しさとは~って言いだすと長くなるから今回は書かないけどw

とにかく、何をするにも誠実でなければ馬鹿も毒も悪いものになってしまう。それらを良いものにするには誠実でなければ相手に伝わらない。どんな考えや行動にもその根底には誠実、真面目であることがなければいけない。その土台がないままに思考し行動してしまう人が、間違った過ちを犯すのだと俺は思っている。何事も紙一重だ。過ちを犯す人とそうでない人、その違いは、思考ではなく、その根底に誠実さ、真面目さ、世間一般の常識というフィルターがあるかどうかの違いだと思っている。

そのフィルターがいらねえんだよ、という気持ちはわからなくはないけども、でも、それがなかったら表現は成り立たないんだよと思っている。

突然思いついて考えがまとまらないまま書きだしたから、あとで見返したら意味不明なことになってそうだけど、とりあえず今回はこんな感じでw

馬鹿であること、毒であること、そしてその土台である誠実であること、これらを意識して今後もやっていきたい。