孤独な社会人の独り言

自分の考えの備忘録としてのブログ

尖り

尖りは必要かどうか。そんなことを考えていた。

成功している人は若いころは尖っていたという人が多い印象がある。

尖り=成功者のパターンというつもりはないが、自分の考えとして、少なくとも若いうちは尖りは必要だと思っている。

この先どうなるかわからないけれど、せめて30までは尖っていたい。他人にはわからなくてもいいから、自分の内にあるものをずっと燃やしていきたい。

人生はすべて勝ち負けだと思っている。人に優しく接して時には自ら引いて負けを選ぶようなこともあるけれど、そんなことも含めてすべて勝ち負け。

やるかやられるかしかないんだ。力、体力、根性、頭脳、知識、容姿、人間性、収入、ユーモア、話術、そういう個性や魅力という名のステータスを武器にみんな勝ち負けの世界で生きている。俺は気を許している友人に対しても嫉妬や劣等感、優越感を常にどこかに感じている。

一見横並びの関係であっても全部勝ち負けなんだ。それは同性に対しても異性に対しても。勝たなければ意味がない。自分が今まで培ってきたものがすべて否定された気になる。この先就職しても同期や先輩、後輩に対してもずっとこのスタンスでいこうと思っている。これは闘争心や負けず嫌いなんてかっこいいものじゃなく、単に劣等感の裏返し、自己肯定のための自分本位な感情なんだと思う。だけど、それでも、だからこそ尖っていないと自分がダメにになってしまいそうだからこの先もこの気持ちをもって生きていたいと思う。

酔っぱらってるからあんまりまとまらなかったけど、とにかくこの先もいけるところまでずっと尖っていたい。自分自身に俺は他とは違うんだと思わせたい。自分を等身大に受け止めて、まぁこのままでいいのかなと正当化した時点で終わってしまう気がするから。尖ってあがいて無様に格好悪く生きていきたい。そんなことを思っちゃったっていうお話でした。

禁煙

禁煙のことを書いておこう。

前に煙草のことを書いて禁煙するといったけど、結局自分に甘えてしまい2箱くらい吸ってしまって、改めて気持ちを入れなおして昨日から禁煙をスタートした。

今日は禁煙2日目。日中は学校行ったり外にいるから平気だけど、夜になって暇になるとどうしても吸いたくなってくる。今がまさにそうだ。

俺はコーヒーが好きで、よくカフェに行ってコーヒーを飲みながら煙草を吸っていたんだけど、いつも行くのはドトールサンマルクルノアールとかが多かった。喫煙席のある店しか行かないので、どうしてもそのへんの店になってしまう。

しかし今日、禁煙をしている俺は、何年振りだろうって程久しぶりにスタバに行った。

スタバはお洒落なイメージがあるということは十分わかっていたけれど、喫煙席がないという理由でずっと行きたいと思うことすらなかった。

だけどせっかく禁煙中ということで、スタバに行こうと思い、本屋で前から読みたかった山里亮太さんの「天才はあきらめた」を買い、スタバに行きコーヒーを飲みながら読んだ。まず、スタバに行かなさ過ぎてサイズ感がわからかった。ドリップコーヒーのグランデを頼んだら水筒みたいなサイズで出てきたから焦ったよ。次からはショートかトールにしておこう。。。あと試食みたいなので小さいケーキみたいなのをくれた。これはドトールにはないサービスだ。スタバ最高か。ただ、席が混んでいるのが難点。喫煙者は年々減っているっていうし、実際だいたいどのカフェも喫煙席は空いていることが多い。あと、若い学生とかがあんまりいないから静かっていうのも喫煙席のメリットだとは思う。って言っても別に禁煙席でもそこまで気になるほどうるさくはないけど。

そして意外と煙草がなくても手持ち無沙汰にならないことがわかった。本とか作業に入り込めば全然煙草がなくても問題なかった。

せっかく禁煙してるからには、禁煙することで何か新しい価値や楽しみを見出したいと思ってる。コーヒーが好きだから、いろんなカフェとか行ってみたいな。あんまりお洒落でインスタの餌場になっているようなところは苦手だけど。

とりあえず禁煙2日目はこんな感じ。色々前向きなこと書いてきたけど今お酒飲んでて死ぬほど煙草吸いたいのは内緒で。

時間

時間。

22にもなればさすがに生きていく上での基本設定のようなものも少しはわかってきて、そのなかで時間というものは有限で、戻ることはないということもわかっている。

時間は戻らない、当たり前のことなんだけれど、時々どうしても、どうして時間は戻らないんだろうと強く思うことがある。

強い後悔があるからなのか、とてつもなく楽しかった時間があるからなのか、今が満たされていないからなのか、どうしてもあの頃に戻りたいと思ってしまう。

だけどそんな今も、何年かしたらどうしても戻りたいと思うことがあるのかな。

今ハマっている音楽や本とか考えてることとか大切に思っている人や環境を思い出して、酒でも飲みながら感傷にふけって、やるせないくらいに切なくなりながら戻りたいなぁと思うのかな。

そうだったらいいな。思い出は美化されるというけれど、美化できるものであってほしい。

でないとずっと今この時間の自分を肯定できないまま終わってしまう。あの頃があってよかったとか、何だかんだ自由で楽で楽しかったとか、何でもいいから都合のいいように解釈してくれる自分が、何年後かにいることを願っておこう。

煙草

かなり久しぶりの更新

結局B'zの千秋楽の記事も書き忘れてた。。。最高でしたよ。このために生きているんだって改めて思いました。これからもB'zが僕の最大のモチベーションです。

 

本題。今回は煙草について。

僕は二十歳になった2か月後くらい(2016年10月頃)から煙草を吸い始めた。きっかけは単なるかっこつけ。自分は背も低く童顔なこともあり、煙草が似合わない風貌だ。

だからこそ逆に煙草を吸ってやろうという気で始めた。今では加熱式のグローに変えて、2日に1箱くらいのペースで吸っている。

だけど最近よく思い返してみた。煙草を吸ってから明らかに金を使っている。

煙草代はもちろんのこと、無駄にカフェに行くことが増えた。週4くらいでカフェに行っている。喫煙所のない駅とかだと喫煙所代わりに300円のコーヒー代を払い煙草を吸いに行っている。これはかなりの無駄な出費だ。もちろんコーヒー自体が好きな部分もあるのだけれど。

それでなんとなくで1か月に煙草によってかかる費用(煙草代+カフェ等)を計算してみたら、だいたい1万円弱もかかっている。年間で計算すると約12万弱だ。これはとんでもない数字だ。自分は学生だから年間のバイト代を103万以内に抑えている。

だから年収を100万としてそのうちの12万が煙草にかかっていると思うと非常に勿体無いことをしていることがわかる。12万もあればps4もswitchも新しいiphoneも買えてしまうのに・・・

それに、なんとなく煙草を吸っている自分に飽きたというのもある。なんでもいいから変わりたいと常々思っていたから丁度いい。

というわけで、今残ってる分を吸ったら、それを機に禁煙をする。まずグロー本体を捨てる。元々加熱式を吸ってるから今更紙巻なんて不味くて吸えたもんじゃないし。

25くらいでやめようと思っていたけど、ずるずる引き延ばすより、学生時代のほんの1ページくらいの思い出として完結しておいた方がいい気がする。というわけで、禁煙する。

辛いのはわかっているけれど、目標があるというのはいいことだ。どうせなら楽しもう。

イライラしても狂いそうになっても吸わなきゃいいだけ。たったそれだけのこと。

とりあえず口寂しくなった時用に飴やらガムを買っておこう。

 

「大人っぽいね」

 

自分はよく他人から「大人っぽいね」とか「大人だね」と言われることがある。一見誉め言葉のように思えるし、実際そういうつもりで言っているのだろうと思うが、俺はこれを言われても嬉しくもなんともない。

そもそも大人っぽいという言葉は基本的に若い人に「年齢の割に」という意味を込めて言う言葉だ。ということは、今は周りの若い人と比べて大人びていてもいつかはみんな歳を重ね、色々な経験を積んでその比較対象とされている同世代の人との差はなくなってみんな大人になる。だから今現在「大人っぽい」と言われることに喜んでそれを自分の長所や武器のように勘違いして「俺は周りの奴より上等な人間だ」なんて思っていたらいつか歳を重ねて周りの同世代たちが大人な人間になった時に、自分の強みがなくなったと思い悩んでしまうだろう。

それに自分では自分が大人っぽいだなんて思ったことがない。けど、そう言ってもらえるのは俺が22歳という年齢であったり、学生という肩書であったり、大学生=遊びまくりみたいなイメージと違って大人しくて人と群れない(単に友達がいないだけ・・・)ということだったり、身長が低くて童顔で子供っぽい見た目をしていることもあってのことなんだと思う。

だから俺は今の時点で「自分は周りより大人だ」ということを自分の中の一つの強みだと勘違いせずに他の武器を身につけなければいけないのだ。

しかしそれが中々見つからない。。。困ったもんだ。。。

 

B'z LIVE-GYM Pleasure 2018-HINOTORI- 8.5日産スタジアム

結局書くことなくなってしまってしばらく放置してしまった・・・w

※自分向けのブログだけど、一応書いときます。この記事はネタバレ含みます。

 

 

 

この前の8月5日の日曜日、日産スタジアムにB'zのライブに行ってきた。大好きなB'z、初めてのPleasureツアー参戦!

前回のPleasureが2013年で、当時もファンだったけど高校生だから金もなくて行けなかったから、Pleasureは今回が初参戦。

今年はB'zが結成30周年ということで、その記念ツアー。

まぁ率直な感想としては、本当に楽しかった、生きててよかった、B'zを好きでよかった、と心底思ったライブだった。

友達が全然いなくてつまらなくて苦しかった高校時代、そんな俺を支えてくれたのはB'zだった。楽しい時も辛い時もB'zの音楽はいつも俺の傍らにあって、松本さんの作る曲、ギターの音、稲葉さんの歌、歌詞が10代半ば~現在22歳までの思春期、多感な時期、人格形成の土台ができあがるこの貴重な時期に俺にどれだけの影響を与えてくれたことか。

B'zがなかったら俺はどうなっていたんだろうと本気で思う。B'zに触れずに育った自分が全く想像がつかないほど、俺がB'zから受けたものは大きい。

B'zのライブは2015年のEPIC NIGHTから参加して、ソロやDINOSAURツアーも参加している。どのライブも本当に楽しくて、感動的で、夢のような時間を過ごさせてくれる。その中でも、今回参加したPleasureは過去最高のライブだったと思う。

演出も素晴らしい。セットリストも文句なしだった。好きな度合いが強くなるにつれて、定番曲、シングル曲では満足できなくなっていくような気がするけれど、やっぱり定番曲ってすごく楽しくて盛り上がれる。みんなが知ってる曲でみんなで盛り上がれる、お祭りみたいな楽しい時間。

本編ラストの(興奮しすぎて記憶が定かではない)Pleasure 2018~人生の快楽~でなぜか涙が止まらなくなってしまった。悲しいわけでもないのに。

今までB'zを聴いて積み上げてきた時間を想って自然と涙が出てきた。B'zに救われた日々。B'zを聴いて励まされ、気合いを入れて、気持ちをどん底まで沈め、自分を責め、自分を見つめ、誰かのことを想い、色んなことを考え、思いを馳せた日々。そういうのが一気にあふれ出して、泣いてしまった。今までに流したことのない種類の涙で、自分でも戸惑ったけど、B'zのおかげで、俺はこんなにも色んな思いを感じることができて、涙も流せる人になれたんだなと思うと嬉しかった。

日産スタジアム、本当に楽しかった。数日たつけど、まだ余韻に浸ってる・・・

 

次は9月22日のツアー千秋楽、味の素スタジアムに参加するから、その時にたっぷりと書こう。

というか思ったほどネタバレなかったww

サボり癖が出てしまい更新頻度がすっかり落ちてしまったw

日々思うことや考えることはいろいろあるから書いていかなきゃとは思いつつも。。。

 

今回は「月」について。俺は月が好きだ。宇宙のこととか月の性質(?)的なものはさっぱりわからないけど、単純に月を眺めるのが好きだ。

よくにベランダに出て月を眺めながらぬるい缶チューハイを飲むんだけど、これがなんと楽しくて素晴らしいことかww

 

夜になるとついつい色々なことを考えてしまうことが多い。時にナイーブになることもある。そんなときに月を見てぼーっと思案にふけると、深いところまで考え込んでいって、そしてそれがなんだかとても心地よくて、考えがまとまってすっきりする。

 

俺はB'zが大好きで、その理由の一つに稲葉さんの書く歌詞がある。稲葉さんの書く歌詞の中に「月」が出てくるものがいくつかある。「今夜月の見える丘に」「月光」「満月よ照らせ」とか、ソロだと「Little Flower」など、今あげた以外にも「月が」出てくる曲は幾つかある。

某歌詞考察ブログに、稲葉さんの詞に出てくる「月」は「人の本音や人間の弱さを照らし出す、明るみに出す存在」として描かれている。と書いてあるのを見かけた。

この解釈に俺はなるほど確かに!と思うと同時にそれは自分にとってもあてはまると思った。

 

自分自身、月を見て物思いにふけることがよくあると書いたが、まさに月を見ると自分でも気づいていなかったような胸の内に閉じ込めてた気持ち、弱さや悩みというものに気が付くことが多い。普段はそんなことを思わない、思ったとしても社会通念や常識、美徳なんていうフィルターを通して表に出すべきではないとしている感情や思いがとめどなくこみ上げてくる。そしてそれは良いのか悪いのか、夜が明けて朝になるとまたすっと消える。そういう経験が俺自身、何度もある。

そういう自分の経験も踏まえて考えてみると、「月」が人の本音や弱さなどを照らし明るみに出す存在というのは非常に納得できる。

 

夏目漱石は I love you. を「月が綺麗ですね」と訳したという有名な話がある。もしかしたら漱石もこの感性を持っていて、「月」によって好きな人への隠してきた想いが照らし出され明るみになり、この言葉が出てくるということなのかもしれない。まぁこれは完全なこじつけと都合のいい妄想でしかないのだけれどもw

 

そんなこともあり月というものの美しさを最近よく考えている。月は日中でも出ていて、何の気なしに朝や昼でも目にすることがある。しかし日中は太陽の存在感が大きすぎて月の存在はかすんでしまうし、その時に月を見ても何も感じない。しかし夜になると昼の太陽と同じくらいの存在感を放ち、暗い世界を明るく照らして、時にそれは人の心をも照らしてくれる。

人は幸せな時、うまくいっている時には、些細なこと、当たり前とされていることの有難みに気が付けないことが多い。逆に辛い時には些細なことでもその有難みに気が付く。

月はまさにそんな存在だと思う。明るい朝や昼に空に月が見えていても何も思わない。けれども夜になるとその明るさ、美しさに気が付く。

 

俺も月のように誰かを照らし出せる存在になりたい。普段は何ともないような取るに足らない存在と思われても構わないし、それくらいがいいと思う。でも相手が辛い時にはそっとその胸の内を照らし出してあげられて、すっと気持ちが軽くなるような、そういう人になりたいと思う。なんていうのは流石にクサすぎかww

 

なんかまぁ、そういうわけで月っていいなぁ・・・と最近考えてるんだけど、完全にじいさんみたいなこと考えてるなww 21歳でこんなことを大真面目に考えてしまうなんて。。。

 

というわけで今回は月について書いた。このブログは基本自分の記録用として書いてるから、自分自身いつかこの記事を見返した時に色々思うことがあればいいなー