孤独な社会人の独り言

自分の考えの備忘録としてのブログ

人との接し方

なんか堅苦しいタイトルだけど、要するに人と関わる上でどういう心持ちで生きている、生きていくのかを、念書的な意味も込めて書いておこうと思う。

 

俺は友達がほとんどいない。むしろ人との関りを避けているといってもいいくらいだ。

自分以外の人間はどこまでいっても所詮は他人。それは家族でも恋人でも友達でも。そう思っている。冷たく思われるかもしれないが、人は一人きりでは生きていけない。人を作るのは人だ。おおよそこの世のほとんどは人が作ったものだ。人と全く関わらなくても、人によって作られたもので人は生きている。衣食住はもちろん、親、兄弟、友達、先生、好きな人、嫌いな人、さらにはペットとして飼われている犬や猫だったりも人間によって改良された種が多い。それだけじゃない、絵画、本、映画、音楽、スポーツ等、これらも人によって生み出されたものだ。人は必ず人によって作られたものに何かしら影響を受け、それにより人格が形成される。

 

俺は人を信用してないし、心を開けないし、人との関りを避けているけれども、人の大切さをわからないわけじゃないしむしろ誰よりも人の温かみや大切さを知っていると思っている。

俺は友達が本当に少ないけれども、ごくごくわずかに友達はいる。それは俺が一方的にそう思っているだけでもいい。その上でそういう人にどういう気持ちをもって接するか、ということを考えてみた。

俺はこんな自分みたいな人間に対して良く接してくれる人には本当に感謝と尊敬の気持ちがある。それと同時に、楽しませたい、笑わせたい、何かしら影響を与えたいという気持ちがある。

そこでそういう大切な人と接する上でどういう意識をもって接するかを考えに考えて出た結論としては、「常に相手が自殺したいと思うくらい絶望していると思って接しろ」ということだ。人は自分の弱さ、痛みを隠したがる生き物だ。辛いことがあっても笑ってみせる生き物だ。他人から見たらその人が抱えているものなんてわからない。最高に幸せかもしれないし、ボロボロに打ちのめされて自殺したいくらい不幸せで絶望しているかもしれない。もちろんその胸のうちを正直に話してくれたらそれが1番いいのだが、人はそういう部分を隠したがるから、話してくれなくたっていい。だからこそ常に相手が死にたいくらい絶望しているくらいの意識をもって、相手を100%楽しまる、笑わせる、安心させる、生きていて悪くないこともある、そう思ってもらえるように接していきたいと思う。

孤独で友達もろくにいないし彼女もいない、人望なんて全然ない、でも人のありがたみ、人は一人きりでは生きていけないということをわかっている自分だからこそ、数少ない大切な人には全力でいい気持ちになってほしいと心の底から思う。

 

この気持ちをもって人に接していきたい。なんとしても絶対に。これは、この度わたしは変わります的な声明であり念書でもあるww

 

このブログを書くときは基本酔っぱらってるから文章だったり考えが色々まとまってないかもしれないけど、とりあえず今回はこんな感じでw